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「貯金いくらある?」と聞かれた瞬間、心の底が冷えた

「貯金いくらある?」と聞かれた瞬間、心の底が冷えた 劣等感

※この記事は「劣等感シリーズ」の1本です。

ここでは、友達の何気ない一言を言われたとき、
その感情を否定せず、きれいにもしないまま、
40代前後の女性として
暮らす私の本音を書いています。

解決はしません。
前向きにもなりません。

ただ、「これは私の気持ちだ」
と思える時間になればと思っています。


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何気ない会話なのに、胸の奥がざわついた日

たった一言の会話でも、
あとから何度も
思い返してしまうことがあります。

そのときは笑っていたのに、
帰り道で胸の奥がざわざわしてくる。
そんな日がありました。

できれば感じたくないのに、
何度も戻ってきてしまう感情があります。

駅前のカフェで交わした、軽いはずの質問

駅前のカフェで交わした、軽いはずの質問

その日は、久しぶりに高校時代の友人と会いました。
場所はスターバックス。
駅前のガラス張りの店舗で、
外は冷たい雨が降っていました。
三月なのに、まだ冬みたいな空気でした。

彼女とは年に一度くらい会う関係です。
子どもの話や、仕事の話、親のこと。
どこにでもあるような、40代の会話でした。

ケーキを食べ終わったころ、
彼女がふと笑いながら言いました。

「そういえばさ、貯金ってどれくらいある?」

悪気はない顔でした。
むしろ、
世間話の延長みたいな軽い調子で。

私は一瞬だけ言葉に詰まって、
それから曖昧に笑いました。
「うーん、まあ…そんなにないかな」

それで会話は終わりました。
彼女はすぐに別の話題に移って、
店内の音楽が静かに流れていました。

でも、私の中では、
その質問だけがずっと残っていました。

胸の奥に沈んでいた、重たい気持ち

胸の奥に沈んでいた、重たい気持ち

帰り道、駅の階段を降りながら思いました。

私は、貯金の話が苦手です。

嫌いというより、怖いのかもしれません。

派遣の契約が終わるたび、収入は止まります。
次の仕事が決まるまで間が空くかも。
通帳の残高を見ながら、
そっと息をつく日が続きます。

マンションのローンは
まだ30年以上残っています。
子どもは中学生と小学生。
塾代や部活の道具、これから先の進学費用。

数字にすると、現実は急に重くなります。

友人がどれくらい貯めているのかは
聞きませんでした。
でも、きっと私より多いんだろうな、
と勝手に想像してしまいました。

それは、静かな劣等感でした。

心の中に、
小さな石を落とされたみたいな感覚です。

波紋は広がらないのに、
底の方がずっと冷たい。

「私がだらしないだけなんじゃないか」

家に帰って、
夕飯を作りながら考えていました。

私がもっとしっかりしていれば、
貯金も増えていたんじゃないか。

若いころ、正社員を続けていれば
違ったんじゃないか。

派遣という働き方を選んだのは、
甘えだったんじゃないか。

そんな声が、頭の中でぐるぐる回ります。

誰にも責められていないのに、
自分で自分を責める。

それは昔からの癖みたいなものです。

台所の窓の外では、
まだ雨が降っていました。

街灯に照らされた水滴が、
細い糸みたいに落ちていました。


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それは本当に「性格」の問題なんだろうか

それは本当に「性格」の問題なんだろうか

その夜、
お風呂に入りながらぼんやり考えました。

この気持ちは、
私が弱いから
生まれたものなんだろうか、と。

もし私が違う立場だったら

たとえば、
安定した会社でずっと働いていたら。

あるいは、ローンがもう少し少なかったら。

同じ質問をされても、
こんなふうに
心がざわつかなかったかもしれません。

「うちはこれくらいかな」と、
普通に答えていたかもしれない。

そう考えると、
この感情は私の性格だけで
出来ているわけじゃない気がしてきます。

いまの立場。いまの不安。いまの生活。

そういうものが、
静かに重なってできた
感情なのかもしれません。

比べられる世界に生きているだけかもしれない

比べられる世界に生きているだけかもしれない

私たちは、どうしても比べてしまいます。

年収、貯金、子どもの学校、家の広さ。

まるで見えない物差しが、
どこかに置かれているみたいです。

でも、その物差しは本当は
誰のものでもないのかもしれません。

それでも、
気づくと自分で自分を測ってしまう。

そして「足りない」と思ってしまう。

その繰り返しの中で、
劣等感はゆっくり育つのかもしれません。


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それでも、今日の生活は続いていく

それでも、今日の生活は続いていく

感情がなくなるわけではありません。

でも、少しだけ
扱い方を変えることは
できるのかもしれない、
と思う日もあります。

通帳を見ない日をつくる

私はときどき、
通帳を見ない日をつくります。

見れば現実は変わらないのに、
気持ちだけが沈むからです。

今日は見ない。 今日は考えない。

それくらいの距離で、
ちょうどいい日もあります。

生活の小さな音に戻る

息子がランドセルを床に置く音。
娘が冷蔵庫を開ける音。
夫が玄関のドアを閉める音。

そういう生活の音を聞いていると、
数字とは違う世界に戻れる気がします。

私の生活は、派手じゃありません。
でも、ちゃんとここにあります。

もし同じ気持ちを抱えている人がいたら

もし同じ気持ちを抱えている人がいたら

もしあなたも、
誰かの貯金の話を聞いて
苦しくなったことがあるなら。

それは、あなたが
ダメだからじゃないのかもしれません。

不安な立場で生活していれば、
数字の話はどうしても重くなります。

だから、少し距離を取ってもいい。
答えを濁してもいい。

そういう夜があっても、
きっと普通なんだと思います。

私もまだ、答えは見つかっていません。
でも今日も、夕飯を作って、洗濯をして、
子どもに「おやすみ」と言う。

それだけで、一日は終わっていきます。

たぶん、それでいいのかもしれません。

少なくとも、
今の私にはそれしかできないから。

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少し距離を取る方法を書いた記事⇒劣等感が静かに胸に沈む夜に、私がしている小さな整え方