どうして、不安はこんなふうに突然やってくるんだろう。
夜、子どもたちが寝たあとに、なんとなくスマホを見ていたとき。
特別な出来事があったわけでもないのに、
ふと、ひんやりしたものが落ちてきた気がしました。
「子どもが小さいときに、何かしておけば」
頭の中で、そんな声が聞こえた気がします。
今日は、答えを出す話ではありません。
この感情を、いったんここに置いてみるだけです。
ふと、湧き上がる感情

SNSで見た、同級生の投稿
夜、子どもたちが寝たあとに、なんとなくスマホを見ていました。
久しぶりに開いたSNSで、同級生の投稿が流れてきました。
「正社員で復帰しました」
「家を建てました」
「子どもが中学受験に合格しました」
写真の中の笑顔は、どれもちゃんとしていて、生活が整っている感じがしました。
私はそのとき、洗濯物をたたみながら、明日の派遣のシフトを確認していました。
なんとなく、指先が止まってしまいました。
置いていかれている気がする瞬間
胸の奥に、ひんやりしたものが落ちてきた気がしました。
「ああ、みんな先に進んでるんだな」と思いました。
私は、派遣で働いていて、貯金もそんなに余裕がなくて、将来のことを考えるとぼんやり怖くなります。
なのに、同年代の人たちは、ちゃんとキャリアも家も子どもの進路も積み上げているように見えました。
比べたくないのに、比べてしまう。
置いていかれている気がして、心がざわざわしました。
「私がだらしないだけなんじゃないか」という声
そのざわざわは、すぐに自分への言葉に変わりました。
「もっとちゃんと働いていれば」
「資格とか取っておけば」
「子どもが小さいときに、何かしておけば」
過去の自分を責める言葉が、頭の中でぐるぐる回ります。
私は何も積み上げてこなかった人間なんじゃないか、という気がしました。
立ち止まれている自分

これは性格の問題なのかな、と考えてみる
でも、その夜は、いつもより少しだけ立ち止まれました。
「これって、本当に私の性格の問題なんだろうか」と思いました。
子どもが生まれてから、働き方も住む場所も、いろいろ制限が増えました。
体力も気力も、20代や30代の頃とは違います。
それなのに、「同年代と同じように進んでいないといけない」と、どこかで思い込んでいた気がしました。
不安は、環境に対する反応かもしれない
置いていかれる不安は、私の性格が弱いから生まれたものじゃなくて、
「今の立場や環境を見て、脳が鳴らしている警告音」みたいなものかもしれない、と思いました。
派遣という立場で、収入も安定しきれなくて、子どもの教育費や老後のことが頭にある。
その状況で、不安を感じないほうが不自然なのかもしれません。
「怖い」と思うのは、怠けている証拠じゃなくて、ちゃんと現実を見ているサインなのかもしれない、と少しだけ思えました。
小さな対処と未来

今日できる、ほんの小さなこと
何か大きく変える気力はありませんでした。
だから、できそうなことだけをやってみました。
まず、SNSを閉じました。
比べてしまう場所から、少しだけ距離を置きました。
それから、ノートに「不安」とだけ書きました。
理由も結論も書かずに、ただ書きました。
最後に、温かいお茶を入れて、ソファに座りました。
不安を消そうとはせずに、「あるな」と思うだけにしました。
不安は消えなくても、少し離れて見られるかもしれない
たぶん、また同じように不安になる日が来ると思います。
同級生の話を聞いたり、ニュースを見たりして、また置いていかれた気がすると思います。
でも、そのたびに「これは性格じゃなくて、状況に反応しているだけ」と思い出せたら、
不安と少し距離が取れるかもしれません。
不安が消える未来じゃなくて、不安と一緒に暮らしながら、少しだけ呼吸が楽になる未来。
それくらいなら、なんとなく想像できました。
置いていかれている気がするとき、ここに戻ってきていい
もし、同年代が先に進んでいるように見えて、胸がざわざわする夜があったら、
それはあなたがダメだからじゃなくて、ちゃんと現実を見ているからかもしれません。
前向きにならなくても大丈夫です。
「不安だな」と思うだけで、もう十分かもしれません。
またしんどくなったら、ここに戻ってきてください。
同じように立ち止まっている人が、たぶんここにもいます。
